まだ見ぬ何か。

今住んでいる町に引っ越してくるとき、「広すぎる」という理由で却下になったアパートが、最近ネットで検索してヒットするようになってきた。今月の下旬に空きが出る…ということのようだ。

 

12畳のLDK、6畳×2、4畳半×1と、当時の我々(相方と二人暮らし)では広すぎる物件だったので却下された。細かいことを言うと、窓が大きくて手持ちのカーテンだと寸足らず(オーダーカーテンを持っていたせいだな。今のアパートも窓が大きいので、結局オーダーカーテンは隅に追いやられて既製品の長いカーテンを使っている。今となってはマイナス点ではない)、収納が1畳半、0.75畳、だった(今のアパートよりは広い)。

 

これらはおそらくほとんど口実めいたもので、家賃が高い(共益費と合わせて6万円台後半、駐車場代もかかる)ことを否定的に見たオレが、こじつけた可能性が高い。

 

 

今にして思うと、ttymの最後のアパートは素晴らしかった。

 

広く、収納力があり、海は近く、駐車場代はかからず車を二台以上置けた。一戸建ての平屋物件だったおかげで、窓がたくさんあってトイレ、風呂、台所、なにも不自由はなかった。外には水栓があっていろんなものを水洗いできた。地元密着型スーパーに徒歩圏内で、良いキャラの店員がいるファミリーマートが近くにあった。

 

和室から外を見ると、竹藪があって風にそよぎ、今日は風が強いのか弱いのかわかった。ちょっとしたテラスがあり、洗濯物を干すのに便利だった。猫が闊歩していた。それに伴って、雄猫の争いが垣間見え、相方がひいきにしてた黒猫が足にけがをして徐々に衰えていくのを観察することができていた。

 

花火大会の夜は、駐車場に出て空を見上げると、ちょうど良い破裂音と、花火が見えた。会場まで行くと人でごった返しているから、スーパーでお気に入りの唐揚げと惣菜を買い込んだ。家に帰って冷えたビールを開け、花火の音を楽しんだ。玄関から外に出、テリオス号にもたれかかって、花火を眺めた。

 

思い出すと涙が溢れるほど、いいところだった。

 

花火大会の下りは、書いていて鮮明な映像がよみがえった。

 

 

でも、あそこにずっと住んでいたら、守るべき存在はおそらく見いだせていなかっただろう。相方と楽しく暮らすことはできていたけど、愛すべきマイ愚息(表現はよろしくないが)はいなかっただろう。

 

後ろを振り返ると、そこには美しく装飾され、少しの不便さは隠された景色が広がっている。

 

立ち戻ることはできない。

 

 

今日、見せてもらったアパートは、ttym最後のアパートと構成的に似ていて、6畳の部屋が4つくっついた間取りになっていた。

 

過不足のない暮らしができるだろう。家賃の面でも今のアパートとほとんど変わらない。駅が近く、大きな公園が近く(と言っても歩いて10分以上かかるが…いや、歩いて10分というのは結構近いけどな…)にある。

 

相方が帰ってきて、マイ愚息が帰ってきて、楽しく暮らせるか…いや、みんな一緒にいれば楽しく過ごせるのは間違いない。その上で、住環境としてどっちが優れているのか。近いうちに結論を出さないとな。